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12/19 アフガニスタンの和平と復興を考えるトーク・イン

 

終わりなき「テロとの戦い」
破壊と混沌が広がるアフガニスタン

これまで何がまちがっていたのか
これから何をなすべきなのか
和平と荒廃からの復興のために

■2009年12月19日(土) 午後1時〜3時半(開場 午後12時半)
■明治学院大学・白金キャンパス 2号館 2102教室

  東京都港区白金台1-2-37
  東京メトロ南北線/都営地下鉄三田線 「白金台」・「白金高輪駅」徒歩7分
  都営地下鉄浅草線 「高輪台」駅徒歩7分
  地図→http://www.meijigakuin.ac.jp/access/

■参加費 一般500円/明治学院大学生100円(事前予約不要)
■主催 〈NGOと社会〉の会/明治学院大学・国際平和研究所

T部 「鳩山政権の新アフガン政策をめぐって 」

   ファシリテータ
     藤岡美恵子(〈NGOと社会〉の会)
   パネリスト
     犬塚直史(民主党参議院議員)
     服部良一(社民党衆議院議員)
     高橋清貴(日本国際ボランティアセンター[JVC])
  東澤 靖(明治学院大学・国際平和研究所)

U部  NGOと会場参加者からのトーク・イン

●お問い合わせ
「12/19トーク・イン」と明記し、emailまたはファックスにて、下記までご連絡下さい(電話不可)。
〈NGOと社会〉の会(コーディネータ: 中野憲志)
(株)新評論編集部内 
Email:yamada@shinhyoron.co.jp 
Fax:03-3202-5832

※〈NGOと社会〉の会とは、『国家・社会変革・NGO』(新評論)の出版を機に執筆者によって結成された有志グループです。


 〈NGOと社会〉公開シンポジウム 第五回

軍民一体の平和構築は平和を創造するか?
〜アフガニスタン「復興支援」を再考する〜


 2001年10月7日のアフガニスタンの空爆に始まった、対テロ戦争の勃発から丸八年。戦争は「テロ」を無くすどころか、より混沌とした世界へと私たちを引きずり込んできました。

 アフガニスタンにおいては、一度は政権を明け渡し、地下に潜ったタリバーンが徐々に勢力を回復し、首都カブールを再び制圧しかねない情勢になっています。こうした状況の中で、鳩山新政権は11月の日米首脳会談までにインド洋における給油活動に代わるアフガニスタンへの「民生支援」の具体案を取りまとめると発表しました。

 しかし、対テロ戦争と一体化したこれまでの復興支援に対する総括と反省の声は、残念ながら何も聞こえてきません。内戦による荒廃と混乱からアフガニスタンの本当の平和を取りもどすために、日本政府、市民社会、そしてNGOはこれからいかなる役割を果たすべきか? アフガニスタン現地において人道・復興支援に長年取りくんできた二つのNGOが、最新の現地情勢と米国の動向の分析を交えながら、発言します。

■ 日時  2009年10月24日(土) 14〜17時
■ 場所  大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス
     東京都港区麻布台1-11-5 TEL 03-3582-2922
     地下鉄日比谷線 神谷町下車(E1出口)徒歩3分・都営大江戸線 赤羽橋駅下車 徒歩8分
■ 発言  福元 満治 (ペシャワール会・事務局長)
     「アフガン復興に必要なもの――26年間の支援活動で学んだこと
     高橋 清貴 (日本国際ボランティアセンター[JVC])
     「オバマ政権のアフガン政策を考える――NGOはどう動くべきか
■ コーディネータ  中野 憲志(先住民族・第四世界研究)
■ 参加費  500円(予約不要)
■主催  〈NGOと社会〉の会

****〈NGOと社会〉ニューズレター第5号 10月7日発行

◇ 「戦争のテロルと平和のテロル」 中野憲志
◇ 「人災(戦乱)と天災(旱魃)の荒野で用水路を拓く」 福元満治
◇ 「日本はアフガニスタンで「平和構築」を進める資格と能力があるだろうか?」 高橋清貴
◇ 「バンドーラは悲しい味がする――占領下における開発援助の不可能性」 清末愛砂
◇ 書評・『人道的帝国主義』(ジャン・ブリクモン著) 藤岡美恵子

※シンポジウム・ニュースレターの問合せ先:
新宿区西早稲田3-16-28(株)新評論・編集部内〈NGOと社会〉の会
(TEL:03-3202-7391/FAX:03-3202-5832)


   永遠の安保、テロルな平和――で、ぼくらは安保をどうするのか?
 
 
『永遠の安保、テロルな平和』のための随想録において、次の文章を執筆中です。

オバマの対テロ戦争と日本
誰のための「平和と和解」か?
---対テロ戦争時代の国連安保理と「国際社会」の役割を再考する

アフガン「包括的新戦略」を検証する
米軍はイラクから撤退しない
アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章

ソマリア内戦と「海賊」問題
ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産
「海賊対策」における憲法解釈の権力学
「海賊対策」と対テロ戦争
(1)佐藤正久自民党議員の重大発言
(2)「海賊対策」は「海賊」対策にあらず
(3)国連安保理決議と米国のソマリア介入
 1 「海賊」対策か、それとも対テロ・海賊戦争か
 2 内戦の泥沼化と「ソマリア・コンタクト・グループ」の結成
 3 ソマリアにおける国連PKOの行方

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はじめに――安保は永遠か

安保条約、「日本国とアメリカ合州国との間の相互協力及び安全保障条約」が一九六〇年六月に国会で「承認」されてから、まもなく半世紀になろうとしている。二〇一一年九月には、米軍の日本駐留を定めた旧安保条約、「日本国とアメリカ合州国との間の安全保障条約」の調印から六○年目を数える(条約発効は一九五二年四月)。

 「安保条約五○年」と「安保体制六○年」。 これら二つの安保の節目を前に、改めて安保のことを考えてみようと思った。(⇒続き

T 安保条約を読む

T-1 「改定」安保条約

 安保条約とはその名の通り、日米間の「相互協力」と「安全保障」に関する取り決めを定めた条約である。それは全一○条のとても短い条約である。安保の何たるかを正しく理解するために、まずは条文の全文に目を通しておきたい。(⇒続き

T-3 安保終了の判断基準

 安保に期限をつけることは、一度は安保を終了することである。もちろん、期限終了後、もう一度同じ条約を結び直したり、別の条約を結ぶこともありえるだろう。しかしそうだとしてもいまの条約と体制にいったん区切りをつけることになる。残念ながら、日本政府は今後もその意思を持ちそうにない。であるなら、ぼくらがその意志を持ち、政府に意思を持たせるようにするしか方法はない。(⇒続き)

T−4 安保は安保ならず?
  ――条約から自立化する安保体制

 この四○年近く、日本政府は以上みてきたようなことを検討することも、主権者にその是非を問うこともなく、安保の「自動延長」を続けてきた。その長い過程で、日本政府は「安全保障」に関する様々な合意や協定を米国と積み重ね、その結果、今日の安保体制はそれが従うべき安保条約の規定から逸脱するようになっている。安保問題の専門家もすでにこの事態に対して警鐘を鳴らしているが、安保必要・不要論者を問わず、ぼくらはこの安保の変質を踏まえながら安保の終了問題を考えざるをえないので、次にこの問題に触れておきたい。(⇒続き)

U 「日米同盟」という神話
   ――安保は「軍事同盟」ではない


 「日米同盟」という言葉が氾濫している。しかし、日米関係はほんとうに「同盟」関係にあるといえるのか。言葉は氾濫しているが、語の厳密な定義に基づき「日米同盟」を立証した論考を目にしたことがない。「日米同盟」とは、具体的に何を意味するのだろう。(⇒続き) 

U−3 安保=米軍はぼくらを守らない
――安保条約第五条1項をめぐって

 このような安保の「安全保障」論は、もしも敗戦後の日本が「外部」からの「武力攻撃」を受け、しかもそれを米軍が撃退したことや、あるいはそのような「事態」が起こりうる切迫した可能性があり、それを米軍が封じたことが一度でもあったなら、少しは説得力を持つかも知れない。けれども、そんなことは一度としてなかった。逆にいえば、安保を存続させるためにはそうした「事態」を起こしうる「脅威」の存在を煽り続け、安保の存在意義をキャンペーンし続けねばならない。(⇒続き

U−4 安保は「日米軍事同盟」ではない

 日米関係を「同盟」関係とする神話と同じように、日本社会に広く流通している神話がある。それは安保を「軍事同盟」と解釈する神話である。けれども、安保が「日米同盟」の「基盤」になりえない以上、当然のことであるが、安保は「軍事同盟」ではない。「日米同盟」という神話からぼくらが完全に訣別するためには、安保=「軍事同盟」という、もう一つの神話からも訣別することが避けられない。(⇒続き

【補論】@ 「日米同盟」の呪縛
   ――「日米同盟」とマスコミ
(朝日新聞と読売新聞を例に)
   
 「日米同盟」とは、一言でいえば、主権者の意思次第で終了できる安保を永続化させるための偽装装置である。 「日米関係は同盟なんだ」とぼくらが思い込めば、なぜ米軍が日本に駐留し続けているのか、疑問にも何とも思わなくなってゆく。安保が永遠に「自動延長」されたって、「そういうものなんだ」と考えるようになる。安保条約があってはじめて米軍が日本に駐留できるというのに、その安保条約が、まるで日本が米国と「同盟」関係にあるから存在するかのような転倒が起こるのである。(⇒続き

・ 「日米同盟」と「平和の公明党」

 では、議会政党はどうか。まず、自民党と連立政権をくみ、「日米同盟」下の安保のグローバル化、そして宇宙の「防衛利用」を推進する公明党を取り上げてみよう。いまでは忘れ去られてしまった観があるが、公明党は結党(一九六三年)から一九八〇年代の初期まで、二〇年近く反安保・反基地の立場を取っていた。(⇒続き

V 鎖を解かれた安保体制
  ――「軍事同盟」への軌跡

 二〇〇一年の「九・一一」直後のアフガニスタン戦争(二〇〇一年一〇月〜)からイラク戦争(○三年三月〜)をへて、ブッシュ−小泉政権は「日米同盟:未来のための変革と再編」(二〇〇五年一〇月。以下、「変革と再編」)によって安保を再・再定義し、その対象領域を「アジア太平洋」から「世界」へと拡大した。(⇒続き

W 憲法九条の死文化と安保
  ――国家と「自衛権」をめぐって

 憲法「改正」に向けた「国民投票法」(日本国憲法の改正手続に関する法律)が二〇〇七年五月一八日に制定され、二〇一〇年五月一八日に施行される。施行後、いつどのような「改正原案」が国会に提出され、いつどのような最終案が議決されるのかはわからないが、早ければ二〇一一年、遅くともその後数年間の間に「国民」は憲法「改正」に対する主体的な判断を迫られることとなった。 (⇒続き

W−3 憲法九条の〈革命性〉

 @憲法九条の意味
 日本の「戦後」の出発点と、その公的規範は現憲法に求める以外にない。日本国憲法は、一言でいえば、大日本帝国と帝国軍隊の戦争の仕方とその負け方が生み出したものである。もしも戦前の日本と軍隊が違う戦争の戦い方をし、違う負け方をしていれば、日本国憲法はまったく違う内容になっていたはずだし、九条も存在しなかったにちがいない。(⇒続き

W−6 憲法学と自衛権

 日本の「戦後」憲法学の自衛権解釈は、憲法九条が国家の自衛権を否定しているというものから、集団的自衛権の行使まで可能である、つまりは何でもできるとするものまでを振り幅としている。この両翼の間に、個別的自衛権と集団的自衛権をめぐる「権利」の保有如何とそれぞれの「行使」の合憲性如何の解釈上の相克があるわけである。そして、国家の自衛権の保有と行使をめぐる解釈の振り幅の中で、自衛隊や安保に対する違憲・合憲、違法・合法の解釈が分かれることになる。(⇒続き

X 「護憲・平和」と安保

1 「六○年安保」とは何だったのか 

 「戦後・以後」の日本社会を支配してきた、たがいに矛盾する二つの神話がある。一つは「安保があるから日本は平和だった」、もう一つは「九条があるから日本は平和だった」とするものである。この論理から「だから安保はなくせない」、「だから九条を守る」という二つの相反する主張がなされてきた。公明党や朝日新聞などはどちらも守って「日米同盟」の「平和」を世界に輸出するという。ぼくは、どれにも賛成することができない。(⇒続き

Y 安保に期限をつけるために(仮)

1 国家の意思と「国民」の意思

 安保の「自動延長」は、日本政府の意思ではあっても有権者の意思ではなかった。政府や国会の安保への意思が「国民」の意思を代表していないことは、現在においてもいえることである。
 
 たとえば、外務省のホームページに、二〇〇六年二月にまとめられた「日米安全保障体制に関する意識調査」の結果が掲載されているが、それによれば「日米安全保障条約を一層強化し、米軍と協力する規模を拡大すべきである」と考えている人は全体の一割にすぎない。小泉政権が打ち出した「世界の中の日米同盟」が安保戦略において政策化されることを、「国民」のほとんどは望んではいないのである。(⇒続き

W-2 安保の段階的解消論

 永遠の安保に対して「安保廃棄」を唱えるだけでは現実は何も変わらない。もちろん安保廃棄を公約に掲げた政党が政権をとれば事は簡単だが、政権が再び交代すればまた安保が結ばれる可能性があることは忘れてはならないし、それより何よりそんな政権が近い将来に登場する可能性は限りなくゼロに近い。(⇒続き

【補論・A】 米国の極東戦略と安保

 「日米同盟」が国際法的にも、国内法的にも根拠を持たない神話に過ぎないことはすでに述べた。また、安保条約に「極東条項」があるとはいえ、条約の規定に基づく限り、日本にとっての安保の境界は「日本区域」であり、「極東」ではないことも先にみた通りである。

 ところが、安保条約の論理は、「極東」の「平和と安定」=「日本の平和と安定」という定式によって米軍の無期限駐留を正当化するものになっている。これ自体、米国の「国防」戦略や国際「安全保障」戦略を日本のそれらとを地域的に合致させる、というかなり無理のある、強引なこじ付け論によって成り立っている。

おわりに――民主政の原理と安保

 以上みてきた安保の永続化は、いまある日本の政治制度に原因がある。より正確にいえば、「あってはならないこと」が法的に正当化され、制度化されていることに原因がある。ここでは二つのことを指摘しておきたい。いずれも日本国憲法がいう「国民主権」の制限/限界性にかかわる問題である。

 その一つは、日本国憲法が「国権の最高機関」たる国会よりも内閣(および内閣総理大臣)の側に圧倒的な外交権限を与えていることである。(⇒続き)

【注】目次、各項目の内容は未完成です。



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